一式戦闘機 「隼」 研究所 The Japanes Army Type 1 Fighter Hayabusa
(Ki-43 Oscar) Research Labo. 一式戦闘機 電気系構造 The Japanes Army Type 1electronic network |
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※ 手持ち資料(オリジナル) 一式戦闘機説明書及び別分冊付図 1942年1月、スイッチ類は三式戦闘機「飛燕」配電盤現物より作成。 |
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■機体の中は本当にガランドウなのか 雑誌やムック本などで一式戦闘機「隼」の機体の中身を紹介する場合F.H.C.のT型(元はA.F.C.でリストアされた機体)やE.A.A.のニ型(スミソニアン博物館の機体)のリストア前後の写真が好んで紹介されていると思います。その中ではコックピットや機体の中はガランドウに近く、隼はシンプルな単座戦闘機なだけに、構造もシンプルなのだなあと、思われた方も多いと思われます。 これは、保存状態が良好とされオリジナル機材と呼ばれている機体写真であるが故、誤解を与えてしまう要因となっています。機体の中身たる計器、機器、補機類、電線類は、戦中・戦後の一時期(放置されていた時期)に兵士やマニアにsouvenir(お土産)として殆どは盗まれており、内部が荒廃していたのを後年部品等をかきあつめて外見のみ必要最小限を再現しているだけなのです。
当時の実機はどうなのでしょうか。一式戦闘機「隼」の胴体中央には非常時脱出孔があり、そこには臨時に人を乗せることが可能なのですが、実際に同乗した設計関係者、整備担当関係者の感想では、機械類とケーブル、電線類がごちゃごちゃして大変だったとの記載が見受けられます。 この事を考証する資料としては、中島飛行機太田製作所の「キ43電気関係重量報告明細」(極秘:昭和16年6月)があります。この資料の中において、一型に使用されていた電纜(配線のことで、車や飛行機で言えばワイヤーハーネスのことです。以下“配線”と略します)の記載がありますが、線種は9種類を使用しており、各々線種の実測値での長さの総延長は、141mにも及んでおり、これが、各種の電気系構造物−各種電子装置を結んでいます。 ■電気系構造物−各種電子装置について 一型における電子装置には以下の代表的な装置があり、三型に移行するにつれて電子装置が増加することになります。 。 1.電源装置 2.照明装置 3.電熱装置 4.脚信号装置 5.始動点火装置 6.電気計測装置 7.無線装置(飛三号無線機及び一号航路標識受信機) 8.配電盤 9.電纜(配線ケーブルのことで、車や飛行機で言えばワイヤーハーネス) ■電源装置 一式戦闘機「隼」には各種の電子装置が搭載されていますが、それらを直接動作させる電源は機上発電機によって行われ、大きく、電圧調整器、機上直流発電機、機上バッテリという装置類で構成・供給されていました。 (1) 機上発電機 一式戦闘機「隼」の機上電源は発動機後方にクランクシャフトにギアにて直結された機上発電機にて行われます。この機上発電機は、ガソリンを燃爆させる高圧スパーク以外の無線機を始めとする全ての電子機器の電源を発電するものです。ただし、この機上発電機で発電する電気は交流電気ですので、そのまま電子機器に直結すると壊れてしまいます。27Vの交流電流を直接使用したのはバルブ(電球)ぐらいです。 一式戦闘機「隼」においては、一型については九七式一号機上発電機が使用され、二型・三型については百式1キロワット機上発電機が搭載されていました。九七式のスペックは発電容量650W、電圧27V、電流24Aとなり、あまり余裕がない発電量でしたが二型になり1000Wの発 電量となりました。先に述べたように、この発電機は発動機の軸歯車と1:1.44の比で直結され、発動機の回転数が1,250回転の時、発電機の回転数は1,800回転し650W(二型は1000W)の発電を行います。 なお、コックピットでは発電機回転計にて回転数を把握することができました。 (2) 電圧調整器 機上発電機にて得られた電気は防火壁前面右上方にある電圧調整器で調整されます。というのも、機上発電機のみではエンジンの回転数によって、電圧・電流がふらついていますし、百式機上発電機になり電圧:30V電流:33Aとなりましたので、それを電圧27V、電流37Aと変換して、27V(一型の電子艤装品がそのまま使えますね)×37A=999Wつまり容量:1KWとしていました。この機器で調整された直流電源は、そのまま電球等バルブを点灯させる回路と、胴体中央に設置された直流発電機へ送られる回路へ流れて行くことになります。 (3) 直流発電機 直流発電機とは、原理的には至ってシンプルで直流モータを回転させ、ノイズ・電圧のふらつきがない直流電流を発電するものでした。もちろん、整流装置も当時はあったのですが、気密性のない、当時の航空機の過酷な環境では信頼性の面からシンプルな発電機変換機構が使用されていました。 ここで得られた直流電流は無線機等、高度な電子機器類に使用されて行きます。 (3) バッテリー 以外なことに一式戦闘機「隼」一型には蓄電池、つまりバッテリーは搭載されていませんでした。一式戦闘機「隼」二型以降、電子装置への安定的かつノイズのならないきれいな電源の供給を目的としてバッテリーが導入されています。 ■照明装置 照明装置については、以下の座席燈、移動燈、標識燈から成り立ちます。 (1) 座席燈(座房燈) 座房燈は操縦席の右側上部、カウルフラップクランプレバーの下部にあります。円筒形をしており自由に回転する制光板によって照度範囲を調整することができました。調整範囲は12度です。円筒の照度範囲については深い青紫色のガラスつまり“ウッドのガラス”が張られています。ウッドガラスというのは“Wood's glass”のことで深い青紫色した、波長400nm以上の可視光線をカットしており、結構厚めのガラスが使用されています。 つまり薄暮・夜間にコックピットを光で浮き上がらせないために、紫外線光で各計器のケージ(目盛り部)に塗布されたラジウムに蓄光・発光させ、計器飛行を可能としていました。 (2) 移動燈 移動燈は胴体左側第四框上部付近に取り付けブランケットとともに設置してあり、移動燈には電纜(配線ケーブル)約1mが付いています。そのことで自由に室内を照らすことが出来ました。したがって、飛行時というよりは駐機時に色々な物を探すために使われました。 (3) 標識燈 標識燈は主翼翼端及び垂直安定板に装備されている灯火です。現存の写真はモノクロなので判りませんが進行方向に向かって左翼側が赤、右翼側が緑(機首方向から飛行機に正対した場合、左が緑、右が赤になる)、垂直板は白の灯火で、飛行中(タキシング中を含む)は常時点灯が義務づけられています。 この約束事は、現代の航空機全ての約束事であり、ボーイングやエアバスのような旅客機も踏襲しているのです。 なお、標識燈については点滅こそしませんが上図配電盤、標識燈明度変更ボリウム(6)で明るさが調整できるようになっており、戦闘行動中の編隊飛行を容易なものにしていました。 標識燈は通常は点滅はしないと書きましたが、上図配電盤、信号燈スイッチ(3)を押せば標識燈が消え、離せば点灯する仕掛けとなっており、僚機とモールス信号等でコミニュケーションを取ることが可能でした。 ・ 左舷燈 赤 16カンデラ電球を使用 ・ 右舷燈 緑 16カンデラ電球を使用 ・ 尾燈 白 10カンデラ電球を使用 ■電熱装置(電熱服) 電熱装置とは電熱服のヒータを制御する装置となります。当時なぜ電熱服が重要視されていたかと言うとコックピットは気密構造ではなく外気温と殆ど同じであったからです。 気温と高度との関係は、一般的に、1,000mで6℃気温が下がります。三次元で機動する戦闘機は約1,000mから11,000mの高度で作戦行動を行ってましたから、占守島のみならずニューギニアのような熱地であっても高高度を飛行する場合は気速と相俟ってコックピット内部であっても温度は相当に低下したはずです。一式戦の外皮は0.5mm厚のアルクラッド材ですし、コックピット内側の緩衝材もないため、熱地以外では電熱装置、つまり電熱服が必要なのです。
なお、電熱服についてはウサギの被毛が内側に張られており、電熱帽子、上下服(ツナギ)、手袋、脚袋(タビに似ています)があり各々がそれぞれ襟、袖、裾から出た短いケーブルにより、帽子等に付けられた小さな二極ホックで結合され、主接続として左脇腹(ベルトに当たる所)から太いケーブルが出ていました。 太いケーブルの終端は四極のコネクタとなっており、コックピット左横に設置されていた終端部接続箱に捻って接続する構造となっていました。 電熱服については暖・寒のコントロールがきかなかった、熱すぎたり寒すぎたりと極端であったとの空中勤務者の感想があります。では寒暖のコントロールは出来なかったのでしょうか。 下記は陸軍機に使用されていた実物の電熱服の終端部接続箱になります。電熱服の実物については、軍装コレクターの方が公開していますので、検索してみることをお勧めします。電熱服のコネクタの終端部(オス)の四極コネクタはそれぞれバナナプラグ構造となっており、メスコネクター部と同様に“ト”、“ア”、“テ”の記号が付与されております。なお、一極はアースとなります。 これを見ると、電熱服の温度はそれぞれの部位毎に“強”⇒“断”⇒“弱”と調整可能であったようです。装置の裏面には巻線抵抗器が配置してあり、電熱服に供給する電流を調整する事ができました。 なお、一式戦の半数を製造していた立川飛行機の戦中の設計図(青図)群の中に下記の接続箱の図面ともう一つ小型の電熱装置箱図面があり、もしかしたら、一式戦には下記を小さくした小型の箱が装備されていたかも知れません。 ■脚信号装置 脚信号装置は主脚の脚上・脚下げリレー装置と脚標識燈、暗明装置から成り立ちます。一式戦闘機「隼」の前の主戦であった九七式戦闘機については固定脚だったのですが、一式戦闘機「隼」は引込脚となりましたので、脚の格納状況についてランプで空中勤務者に明す必要がありました。 主脚の主脚の脚上・脚下げリレー装置は脚上げ時に脚信号装置のスイッチが入る状態となっているもので、今でいえばマイクロスイッチですが、構造も元祖みたいな形式のものが装備されていました。制式名称は脚安全掛金開閉器と呼びます。 脚標識燈は脚信号のスイッチ情報を赤ランプもしくは緑ランプの何れかを点燈させるもので、下図のようにコックピット主パネル下部にあり、飛行時には間違えて脚を出さずに着陸しないように赤を点灯し、着陸時は脚が出ており安全に着地できることを示すため緑で点燈していました。 明暗装置は配電盤の中にあり、最左端にある脚標識燈スイッチ(2)で三段階のトルグスイッチにより明暗を切り替えることができます。見にくいのですが配電盤には“明”←“断”→“暗”と表示しています。 つまり日中、明る過ぎてランプが見にくい場合には“明”を、薄暮・夜間時は光り過ぎ幻惑や他の計器が見にくくなりますので、“暗”または確認後“断”に切り替える訳です。 なお、翼・脚部の上面には脚格納指示棒があり脚下の場合、翼から棒が出っ張るようになっているのですが薄暮・夜間時は見えませんでの脚信号装置が重要な役割を果たします。 ■始動点火装置 始動点火装置は点火開閉器と電線、ポイント、デイストリビューター、始動発電機を指します。点火開閉器は現代風でいうならイグニッションスイッチということになります。エンジン始動時の重要なスイッチで、直径は約9cmで陸軍戦闘機の場合、単発発動機を装着する機材には、この一号点火開閉器を例外なく着装していました。 もちろん、陸軍戦闘機である一式戦闘機から五式戦闘機もこの一号点火開閉器をコックピットに着装しています。なお、点火開閉器の色なのですが、転把部分を黄色等派手に塗装している現存機材がありますが、下図のように基材は黒、点火ゾーンは赤、転把部分はアロイ色(アルミ合金色)が正解です。 実際のエンジンスタートにおいては、機付きの“点火”という掛け声とともに、ロータリースイッチを“閉”⇒“右”⇒“左”⇒“両”と順番に切り替えて行きます。特に“右”⇒“左”⇒“両”に切り替えた際にエンジンの回転数が落ちた場合には発進中止となります。 “右”⇒“左”の切り替えについては発動機構造で記載していますが、発動機はダブルイグニッションであるため、1気筒あたり2本スパークプラグを配置しているため、 そのプラグを切り替えているのです。 なお、点火開閉器の設置場所なでのすが、一型については、コックピットの左壁部にあります。F.H.C.の一型再生機では左壁部に点火開閉器は見当たりませんが、エンジン・スイッチ等装置類はお土産として人気があるため、取り去られた後と思われます。 また、二型以降については主パネル左、パイロットマニュアルにあるように“9.射撃油圧コック把手”と“18.発射切替開閉器”の中間に設置されました。この移動については、緊急着陸時や打撃を受け燃料漏れした際にエンジン・キルを素早く行えるための措置と思われます。 余談ですが、点火開閉器の近くには急停止槓桿も設置され、バンと叩くだけで緊急停止が可能な仕掛けも登場しています。 点火開閉器後部の電纜は三本の太い電線が接続されます。具体的な線種は“電纜第一種”が指定されており、その電纜はアルミ編線メッシュシールドで高圧スパークノイズが無線に乗らないようにしていました。 ■ 電気計測装置 電気計測装置については残弾指示器、排気温度計、回転計、気筒温度計については電気式測定器を用いていたため、電気装置の一部として制御の対象となっています。詳しくはコックピット構造でお話しすることになります。 ■ 無線装置 無線機は一式戦一型は“九六式飛三号無線機ニ型”を、一式戦ニ型以降は“九九式飛三号無線機”を使用していました。使用可能周波数は受信機は1.5Mhz(メガヘルツ)から6.7Mhzまで、送信機は2.5Mhzから5Mhzまでカヴァ使用可能でした。無線機材の構成については、下図のように送信機、受信機はセパレートタイプ、電源、管制器、高周波拡大ユニット(連動チューナー)から構成されていました。 なお、運用周波数のバンド幅が広いため線輪、つまりコイルパックが3個用意され、地域特性に応じてパック1〜3を差し替えて運用していました。熱地は下記に述べる周波数特性から線輪3(4.0Mhz〜6.75Mhz)を挿して高い周波数で運用していました。 通信機については、様々なムック本で使えた・使えない、取り外してた、部隊で日常に活用したとの様々な見解があり統一されていない現状があります。まず、表面的なスペックをT.A.I.C資料よりまとめてみました。なお、比較機材として零戦の無線機である、九六式空一号無線電話機とも比較をしてみました。
飛三号無線機は、日本陸軍の単座戦闘機用として隼、鐘馗、飛燕、疾風、五式までこの形式の無線機を使用しました。サブタイプとして導入年度である皇紀名で九六式、九九式、九九式ニ型、九九式ニ型改、四式のタイプが存在ました。九九式ニ型改、四式については送信出力が20Wとなり、送受信ともに強化タイプとなります。 飛三号無線機では民間のラジオ放送が聞けたのかという質問については、聞けなかったという回答になります。民間のラジオ放送は中波(AM波)ですから0.5Mhz〜1.6Mhzの間で送信されていますから聞くことはできないのです。例えば、ニッポン放送(JOLF)は1.2MHzとなり、1.5Mhzから6.7Mhzの帯域を受信する飛三号無線機では電波を捉えることは出来ない仕様です。 では、飛三号無線機の使用電波の周波数帯域はというと短波(SW波)となります。つまり、短波無線機となりますので、現代でしたら日本短波・第1放送の3.9MHzを受信することができます。 ちなみに、零戦の無線機である九六式空一号無線電話機も上記の表の通り3.8Mhzから5.8Mhzの使用帯域ですので、短波無線機になります。なお、零戦で坂井三郎氏が真珠湾攻撃の際にホノルル放送を聞いて侵攻したのは96式空1号無線電話機ではなく、ク式無線帰投装置(一式空3号無線帰投方位測定器の長波・中波用受信機)からでした。 短波帯にしている理由は、熱地では中波等低周波数では空電による雑音が多く、2.5メガヘルツ以下は使い物にならないため、強力な電波を発振できない戦闘機用無線機では使用が困難であるため、短波帯の3Mhzから5Mhzを使用していました。これは米軍も同じ理屈で戦闘機は短波帯の周波数帯域を使用していたため、日本軍と混線が発生することもありました。 短波帯の特徴として、日中は空電ノイズがあり、電離層も電波を吸収してしまうため、見通し距離でしか電波が飛びません。それでも、米軍の測定で飛三号無線機は高度1万フィートで70マイル可でGOODという評価ですから、高度3千メートルで約100キロまで通信が可能とみるべきでしょう。 仮に100Kmを東京駅からとしたなら、伊豆、水戸、前橋、勝浦がカバーできる範囲となります(なお、夜間はノイズが少なく電離層で電波が跳ね返されるため東京から九州の通信が可能となります)。 もちろん、変調方式がAM方式(振幅変調)であるため、FM放送と違ってモゴモゴした篭った感じの通信となり遠距離となると明瞭さについて劣り、聞こえにくい状態になることがあったかも知れません。 なお、一式戦闘機「隼」関係の逸話としては、ほぼ同じ短波帯を使っていたことで、英・米の戦闘機が日本語で上に来い(高度3,000mから5,000mが一番馬力が出るように調整されているから)、隼の空中勤務者が英語で下に降りてきて戦え(キャブの関係で低高度では2,000馬力級の戦闘機より早く身軽に切り返すことが可能)と電話で会話することがあったといいます。 【一式戦闘機「隼」の無線は使えたのか】 結論から言うと、使えたと言うべきでしょう。 日本軍機はアースの知識が無く、高圧スパークノイズにより聞こえなかった、との見識は間違いです。一式戦闘機「隼」は発動機高圧スパークからの影響を受けないようにするため、一式戦一型より点火回路、電源回路及び各種電纜その他の変圧装置、発電機よりの電纜(電線、信号ケーブル)に関して、アルミニュウム管または鎧装線(アルミのメッシュ編線るシールド)を標準仕様として使用していますし、その終端もアルミ編線で機体と接続しアースすることを指定していました。 このように取扱説明書にある「雑音防止装置」対策がしっかりなされていれば、また、当時の写真資料や現存するケーブルに、アルミメッシュのシールドが残っていることから使えた、活用していた部隊があったと言えるでしょう。 ただ、熱地では湿気によりアルミ・シャーシーがカビにより回路が短略(ショート)するため真空管がダメになった事例が報告されており、南方では修理部品の不足から無線機が使用できない機体があったと思われます。米軍のシャーシーはカビ対策がなされていたようです。
■ 一号航路標識受信機 一式戦闘機「隼」のオリジナルの説明書には飛三号無線機以外の無線装置として一号航路標識受信機が座席の後部に装備されるとされ、それは「飛三号無線機(ニ型)並びに一号航路受信機結線要領」で定められています。 陸軍の航路標識受信機なるものは海軍のク式無線帰投装置(一式空3号無線帰投方位測定器)と同様に帰投方位測定器の機能を持つというより、驚きの基地及び標識地からのマーカービーコンを利用したADF つまり、Automatic Direction Finder機能を使用する装置となります。 一式戦闘機「隼」の場合には可視式(機上操作盤が必要なT式や五型装置)というより機体固定展張方式 固定式(逆L型)アンテナを利用した可聴式であると思われます。周波数は短符1.7Mhz、長符0.7Mhzの中波での運用(簡単にいうと聞こえ方)ですが、多くのムック本では紹介されているのを見たことはありません。 実際、昭和10年頃から陸軍でも多くの無線機材がドイツ・ローレンツ社等から輸入・研究され、昭和17年1月の段階では無線航法器材として航法用送受信機と盲目着陸装置、機上方向探知機が実用化されました。一式戦闘機「隼」の方向探知機はドイツから輸入したテレフンケン社の機上方向探知機EZ-2をコピーした飛二号受信機と思われます。 飛二号受信機(航路標識受信機)は飛一号もしくは飛二号受信機の回路を筐体に入れ、コイルは中波である0.16Mzから0.385Mhz受信専用に改造したもので、上記の写真のようにオリジナルの飛一号及び飛二号受信機の外形とは似ても似つかないものになっています。
■ 配電盤 一式戦闘機「隼」の配電盤については、一型から二型、そして三型に進化する過程で管理する電気系構造物(現代で言う電子装置)が増えましたのでスイッチ類、ヒューズが増加しています。 このページのトップでは5865号機までの配電盤の配置を紹介していますが、では5866号機以降の配電盤はどう進化したのでしょうか。結論から言いますと、電子機材が増えた関係で三式戦闘機「飛燕」と同タイプのものが装着されていました。 ザックリした言い方ですと、二式単座戦闘機「鐘馗」の配電盤は一式戦闘機「隼」一型・ニ型と同じ配電盤を使用し、一式戦闘機「隼」三型と三式戦闘機「飛燕」、五式戦闘機は同じ形式の上部にも始動押釦等スイッチ群が斜めに配置された配電盤、四式戦闘機「疾風」は独自の床置きタイプを使用していました。 下記には一式戦闘機「隼」、一型・ニ型(5865号機まで)の配電盤について記載しました。ブラウザをもう一枚立ち上げて、このページのトップページの図と比較して見てください。 (1) ヒューズボックス 可溶片箱つまりヒューズボックスとなり、このフタを開けるとヒューズフォルダとヒューズが電子装置の数だけ存在します。この当時のヒューズは「一般ヒューズ」であり、被弾や故障で電子回路がショートし、過電流が流れると速溶断して他の電子装置と遮断し保護しました。もちろん、予備ヒューズもボックスの中にセットされています。 (2) 脚標識燈スイッチ 前述したように、配電盤にある脚標識燈スイッチは"明"←"断"→"暗"と表示され、主パネルの脚標識燈の明るさを切替可能としました。 (3) 信号燈スイッチ 前述したように主翼翼端及び垂直安定板に装備されている灯火(左翼側が赤、右翼側が緑、垂直板は白)については、この信号燈スイッチ(3)を押せば標識燈が消え、離せば点灯する仕掛けとなっており、電波を出さずとも僚機とモールス信号等でコミニュケーションを取ることが可能でした。 (4) 電流電圧計 陸軍単座戦闘機の場合、五式戦までこのメータが使用されていました。名称は二号電圧電流計、30V及び30AがMAX表示となります。機上の直流発電機で発生する電流(24A)と電圧(27V)が十分な発電及び消費状態であるかどうかを監視するためのものです。 このメーターについては名称の通り、1台二役で電圧計と電流計を兼用しており、表示切替については電圧電流切替開閉器(10)を使用して行いました。 左側に切り替えると電圧を表示し、右側に切り替えると電流を表示しました。ちなみに真中については"断"つまりOFFとなり、メーターは左に張り付きます。 (5) 発電機スイッチ 発電機からの電力を切断するスイッチです。外部電源での様々な機上テスト時にこのスイッチをOFFにしました。 (6) 標識燈明度変更ボリウム(6) 主翼翼端及び垂直安定板に装備されている灯火(左翼側が赤、右翼側が緑、垂直板は白)の明るさをコントロールしました。ボリウムと書いていますが、これは間違えました。実際に操作してみると三段階のロータリースイッチになっており、一番左に回すと明るく、真中で暗く、一番右で消灯となります。 (7) 照準スイッチ これもムック本に書かれているケースはないのですが、一式戦闘機「隼」で使用されていた照準眼鏡については、筒の中程にあるレティクル(照準線)硝子の部分について、ランプを下部に組み込み、このスイッチを"接"にすることで、薄暮・夜間時にレティクル(照準線)を浮かび上がらせることが可能にしていました。 100式射撃照準器を装備する一式戦・ニ型以降では装備されませんでした。 (8) 照明火スイッチ 翼下照明火のスイッチのことで、標識燈と同様に衝突防止のために艤装された照明です。5865号機まで装着されていましたから、一式戦ニ型初期にも装備されていたことになります。5866号機以降は照明火から着陸灯に置き換えられています。 具体的には、左右の蝶型フラップの先端・主翼後縁部に「九○式翼下照明火」をおいていました。「九○式翼下照明火」とはフラッシュにも使われていたマグネシュウムが詰まった金属性の筒で、それを花火のように焚き離陸準備機や他の空中にある飛行機に自機を認識させ滑走路を開けてもらうことを明示していたのです。 マグネシュウムを焚く操作については、このスイッチを"接"側に倒し、主計器版にある赤と緑の脚標識燈の右隣にある二つの丸いプッシュスイッチを押すことで点火されました。 航空法ではRight of Way (優先権)が明確に定義されており着陸機優先の大原則があります。それは戦前も昔も今も変わりがないのです。マグネシウム花火が飛行場から見えたら離陸準備機は退避して滑走路を開けろということなのです。 照明火(着陸灯)の重要性については、大型機であっても衝突を安全に回避できる距離を確保しようとした場合、ボーイングやエアバスのような大型機であっても飛行機は大空の中では一点にしか見えないため、他の航空機(離陸準備機等)に着陸を認識させる事はとても重要であったからです。それは、現代の大空港でも同じことなのです。 (9) 計測スイッチ 電気計測装置のスイッチです。計測装置には残弾指示器、排気温度計、回転計、気筒温度計などが該当します。 (10) 電圧電流切替開閉器 電流電圧計(4)で記載した通り、二号電圧電流計について電圧計と電流計を兼用しているための表示切替器です。左側に切り替えると電圧を表示し、右側に切り替えると電流を表示しました。ちなみに真中については"断"つまりOFFとなり、メーターは左に張り付きます。 (11) ピトー管電熱確認表示燈 ピトー管電熱スイッチが"接"のときにはこの表示燈が赤く点燈します。 (12) ピトー管電熱スイッチ 高高度飛行や寒冷地(中国や北方)を飛行する際に、ピトー管口が凍り付き、風が入らなくなることを防止するため、ピトー管を熱するスイッチです。ピトー管電熱スイッチが"接"のときにはピトー管電熱確認表示燈が赤く点燈します。 (13) 蓄電池スイッチ 車で言えば、バッテリー・キルスイッチです。駐機時において、電子機器からの漏電によるバッテリー上がりの防止を目的にしていました。一度バッテリーを上げてしまうと性能が低下することを防止するために、駐機時には"断"にしていました。 (14) 射撃スイッチ 射撃スイッチとは、航空機用十二.七粍機関砲装置(ホ103機関砲)のスイッチとなります。ホ103の操作装置は電気(電磁気)により行われる。操作装置とは押釦(押ボタン)、傅動機、操作用電磁機、総動索、砲専用逆鈎操作用電磁機、総動索が該当し電気により動作を行う。その大元となるスイッチとなります。 (15) 羅針盤燈スイッチ 羅針盤つまり機上コンパスについては九八式羅針盤甲を使用していました。この羅針盤については、小さなムギ球が入っており、このスイッチを"接"にすることで傘部の文字盤を照らすことが出来ました。 (16) 滑油計スイッチ 滑油、つまりオイルの油量計については5866号機より追加された機器で、電気式で油量を測定しました。 (17) 下げ翼スイッチ 蝶方フラップについては操縦桿の上部についている押釦開閉器によって電磁的にオイルポンプを動かして行います。そのためのマスタースイッチとなります。 ■ 電纜 電纜とは配線ケーブルのことで、車や飛行機で言えばワイヤーハーネスということになります。線種は9種類、各々線種の実測値での長さの総延長は、141mにもなりますが、それ以外にもアルミニューム管、可撓管(一重山型)、遮蔽編組線を使用しており、これが、各種の電気系構造物−各種電子装置を結んでいます。 しかもこの長さには、電気を使用する計器類に付属のケーブルの長さを含まないのですから驚きです。ムック本では紹介されることのない電纜を出した意味は、当時の戦闘機はとても高価で最先端の複雑な装置類で埋め尽くされており、それらを活用することで勝てる機械であった、ということです。
日本の戦闘機の伝説のひとつに、戦闘機の配線において「物資不足により銅線に紙を巻いただけの電線であった。米軍は分厚いゴム被覆で被覆されていた、あるいは紙にペンキ云々」の表現がなされ、さも事実であるかのように流通していますが、それは間違えであるという見識です。 もちろん、米機へのゴム被覆線の使用は天然ゴムは熱やオイル、ガソリンに弱いためこれも?です。日本機のように合成樹脂、合成ゴムで被覆していたのでしょう。 日本機の実際はどうだったのでしょう。下図に当時の電気材料の資料から一般的な電線の構造図について抜き出してみました。飛2号から飛5号無線機の配線、各種計器配線、各種実物配電盤の実機での配線と比較するなら、この資料通りの電線構造であり必要な絶縁、通電は確保され、配線としていかなる状況下でも有効に機能していたと評価するのが妥当でしょう。 つまり、必要な箇所に必要な種類のケーブルを使用していたということが正解でしょう。 でなければ、現在の金額にして1機数億円する機体が雨のみならず雲や霧を通り抜けるだけで墜落してしまいますし、南方の高温多湿、激しい天候変化、雨季には毎日となる物凄い降雨量のスコールで河のようになる飛行場で戦闘が可能なはずはないのです。また、電線のような全体から見て瑣末なコストをケチる理由が見当たりません。 では、なぜ「銅線に紙を巻いただけの電線」とされるのでしょうか。 誤解されるには理由があります。 もともと、紙や木綿繊維は電気絶縁材料の中でも最も古くから使用され、紙はテーピング材として一般的に活用されていました。もちろん現代でも使用されています。ですが、上図にあるようにゴム層も有りましたし、ゴム層は熱やオイル、ガソリンに弱いため、保護絶縁層として紙テープ、その上を木綿繊維が被覆されています。 航空機の配線の場合には木綿繊維に対して耐水性を持たせるためパラフィン材や当時、米国や日本で普及し始めた、合成高分子化合物である合成樹脂(塩化ビニール樹脂)を塗布した被覆電線を使用し、発動機部には熱やオイル、ガソリンに強い合成ゴム、つまりチオナイトゴムで厚く被覆した電線が用いられているのです。 また、合成高分子化合物は熱やオイル、ガソリン耐性について初期物性はとても優れているのですが、高活性能な触媒を使って無理矢理作り出した物質であることから、天然素材や金属材と違い経年や紫外線による劣化は急速に進みます。 下図はオリジナルの金星発動機に付いていた高圧プラグケーブルの実物写真です。栄にも同じケーブルが使用されています。既に70年が経過し合成高分子化合物の経年変化の例としてとても良いサンプルです。 合成高分子化合物であるチオナイトゴムは1934年に古河電気工業がアメリカのチオコール社から多硫化系合成ゴムの特許権を取得し、チオナイトゴムとして生産しました。したがって、合成高分子化合物ですから先ほど述べたように経年や紫外線による劣化は急速に進みます。 上図のように70年経た現在は硬くボロボロに粒子状に崩壊するのは無理がないことなのです。 現存するコード類はシールドやゴム、樹脂がぼろぼろですので剥離あるいは脱落し、電線の保護基材の布や紙がむき出しになっている状態が多く、そのままで判断されていることが諸説を生むことになっています。 特に、現在南方で発見される戦闘機の配線は経年により銅芯線と保護絶縁層としての紙テープや木綿繊維しか残らない現状があります。 |
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